沖縄本土返還を記念して開催

沖縄国際海洋博覧会とは沖縄の本土返還を記念して、1975年7月20日〜1976年1月18日までの約183日間にわたって開催された国際博覧会である。

 

開催された場所は沖縄北部の沖縄県国頭郡本部町で、現在の美ら海水族館のある場所である。

 

略して沖縄海洋博、海洋博との言われ、沖縄本土返還からわずか3年後に開催されたこともあり沖縄経済の起爆剤として期待された博覧会であった。

 

開催テーマは「海-その望ましい未来」で、合計で36か国と3つの国際期間が参加した。

海洋博に合わせて進められた開発

海洋博開催に合わせて沖縄全体整備は急ピッチで進められていった。

 

開催された会場は、那覇空港から車で2時間半ほどかかるかなりアクセスの不便な場所であった。

 

そこで開催に合わせて沖縄自動車道の一部開通や国道の拡張工事などが進められた。

 

また多くの来場者を見込んでホテル日航那覇グランドキャッスルや沖縄ハーバービューホテルなど、次々に大型ホテルの建設が進められた。

 

また国際通りのシンボル的なビルとして、地下2階から地上19階の那覇タワーが建設され、2007年までは沖縄一高いビルであった。

海洋博がもたらした課題

しかし来場者は当初450万人を見込んでいたが、実際には349万人に大幅に予想を下回る結果となった。

 

不況やインフレなどが重なったことや、アクセスの不便さがその要因の一つと言われる。

 

この時代は沖縄の観光産業は現在ほどに進んでおらず、日本本土から沖縄に当時の経済水準としてかなり高額な航空券を購入してまで足を運ぼうと考えていた人は少なかったのである。

 

また内容の希薄さを指摘する声も多く、特に最大の目玉と言われた未来の海上都市をイメージして建造された人工島「アクアポリス」は、内部に期待されたほどのエンターテインメント性がなく、来場者の中にはそれを疑問視する人も多かったという。

 

また当初の来場者人数を大きく下回ったことで、それを期待していたホテルや観光などのサービス業を営む人からは、特に批判が多かった。

 

またこの海洋博が開催される約2年前にはオイルショックが起きており、日本の経済成長に歯止めをかけはじめた時代であった。

 

そこに海洋博に対する思惑外れが重なり、過剰な建設や製造業などが重なり、完全失業率6%、失業者は全国一位と最悪な事態を引き起こしたのである。

 

また海洋博のための開発は、赤土が海に流出してしまい、海の汚染が広がり珊瑚礁に打撃を与えたことも事実である。

海洋博の跡地

奥集落

海洋博開催後は、沖縄海洋博覧会記念公園となり、日本の都市公園100選にも選ばれている。

 

その後は沖縄美ら海水族館が建設され、一大観光地として話題を集めるスポットとなった。

 

今でも美ら海水族館を目的として沖縄を訪れる人も多く、長期的な目で見れば経済効果もあったといえる。