勝連半島にある島「浜比嘉島」

浜比嘉島は沖縄中部にある勝連半島にある島で、うるま市に属している。

 

沖縄本土から浜比嘉大橋がかけられており、ドライブで簡単にアクセスできる。

 

浜比嘉島の周囲は約6.6キロ、人口500人ほどの小さな島で、島西部の浜地区と東部の比嘉地区の2つの地域によって構成されている。

 

この島は近年パワースポットとしても注目を浴びており、まさに祈りの島でもあるのだ。

 

さほど大きくはない島にも関わらず、島内には30を超える拝所があり伝統的な行事や祭祀なども古来からたくさん行われている。

 

浜比嘉島には琉球開闢の伝説が伝えられており、「中山世鑑」や「琉球神道記」などにその記録が残されている。

 

この伝説は琉球開闢の祖である女神のアマミキヨと男神のシネリキヨの2人の神によって島が造られ、稲作を教え、七つの御嶽を造り、彼らの子孫が増えていったというものである。

 

伝説ではまずアマミキヨは兼久集落の久場島を目的にこの島を訪れ、のちにシネリキヨが住んだといわれる洞窟「シルミチュー霊場」に移り、こちらに住んでいる。

 

この伝説は日本の神話ととてもよく似ており、まさにこれこそが浜比嘉島が「神々の住む島」といわれる所以である。

 

浜比嘉島にはきれいなビーチがありリゾートホテルなども見られるが、どこか神秘的な空気が漂い、これらに惹かれて足を運ぶ観光客が増えてきていることも事実である。

アマミチュー(アマミキヨ)の墓

アマミチュー(アマミキヨ)の墓

アマミチュー(アマミキヨ)の墓

比嘉地区の東、浜比嘉大島を渡り左側の海際に位置している。

 

アマジンとよばれる小島にあり、かつては干潮のときにしか足を運ぶことができなかったが、今ではコンクリートで舗装された道ができ海際を歩きながらアクセスできる。

 

洞窟を囲い込むようにアマミチューの墓があり、「琉球国由来記」には「アマミゾ嶽」と記されノロによって守られてきた場所である。

 

現在でも旧暦の1月1日には、島のノロが中心となって島民たちとともに、無病息災、五穀豊穣、子孫繁栄などの祈りを捧げる場所である。

 

またここにはアマミキヨの兄や妹も一緒に祀られている。

シルミチュー霊場

 

比嘉地区の兼久集落の南側の森の中にある大きな洞窟であり、108段の階段を登っていった先にある。

 

階段手間には鳥居があり、どこかうっそうとした空気が漂う場所である。

 

ここシルミチュー霊場はアマミキヨが住んだ場所と伝えられており、洞窟内の霊石を拝むと子宝に恵まれると言われている。

 

霊場は柵で覆われており、地元の人によって管理されているため普段は施錠されており、中に入ることはできない。

 

こちらも正月になるとノロが中心となって行事が行われる。

 

海岸から小石を拾ってきて洞窟の中にある壷に入れて拝むことが習わしである。

東(あがり)の御嶽(シヌグ堂)

島の東にある聖地で、御嶽の周辺はうっそうとした木々に覆われ神秘的な空間を織り成している。

 

浜比嘉島では旧暦の6月28日と8月28日に、海の時化(しけ)を祈願する「シヌグ祭り」が行なわれることから、別名「シヌグ堂」とも呼ばれている。

 

海が時化るとは、かつての三山時代、戦に敗れた南山の武将・平良忠臣が逃れ身を隠したと伝えられる場所で、敵が海を渡れないように時化(しけ)たことに由来している。

 

そして平良忠臣がアマミキョとシルミキョに祈りを捧げていると、攻撃してくる船は沈没したという伝説がある。