琉球士族の住宅

久米島は沖縄本島から西に約100キロに位置しており、沖縄諸島の中では最も西に位置する島である。

 

近年は「ハテの浜」とよばれる無人島が格別に美しいと評判で、人気の観光地となりつつある。

 

そんな久米島空港から車で20分、久米島西中学校の正門の先にある道を曲がった先にあるのが上江洲家(うえずけ)住宅である。

 

沖縄らしい赤瓦の屋根がなんとも印象的であり、この家は1750年代に建築された琉球王朝時代の士族の家で国の重要文化財に指定されている。

 

上江洲家は具志川城主の末えいであり、上江洲家の見学の案内をしてくれるのは、代々続く上江洲家の人である。

 

住宅の構造だけではなく沖縄の風習や文化などについても案内をしてくれると評判である。

 

上江洲家は代々地頭を勤めた旧家であり、お茶や綿栽培に力を入れ、紬の製法を普及させて産業を発展させたことでも知られている。

 

庶民の貧困救済や王家へ献納をするなど、非常に偉大な一族だったと伝えられている。

上江洲家住宅の構造と知恵

この住宅は「石垣殿内」と呼ばれている屋敷構えで、琉球石灰岩を使った立派な石垣に囲まれている。

 

石垣の四隅は突起状をしており、これは沖縄では魔除けを意味している。

 

この住宅には魔除けの意味をもつシーサーは見られないが、まさにこれがその役割を果たしているといえる。

 

上江洲家住宅は主屋や、カマドも残されている台所、ヒンプン、井戸、離れの豚小屋にいたるまで屋敷全体が非常に良い状態で保存されている。

 

井戸の奥には蔵が残されており、当時ここでは穀物などの貯蔵を行っていたという。

 

家の中でもっと位の高いと言われている部屋は中途半端にも思えるわずか9畳の部屋であるが、なぜこの大きさなのかといえば人間は完璧にすると満たされてしまい努力をしなくなってしまうことから、9畳にすることで向上心が生まれてくると考えられているのだという。

 

また高温多湿で台風が多い沖縄の気候に耐え売るべく、その工夫などが随所に施されている。

 

このような先人に考えや知恵は今もしっかりと受け継がれており、琉球王国時代の文化だけではなく、先人の知恵がつまったスポットでもあるといえる。