護佐丸によって築城された座喜味城

座喜味城跡は沖縄の中部・読谷村に位置しており、築城家として名手と言われた護佐丸によって造られたお城である。

 

護佐丸は座喜味城から5キロほど離れた山田城の豪族、いわゆる按司であったが、尚巴志が1416年に北山征伐を行うと、有力按司の一人として戦に参戦し成果を上げ後に今帰仁城の看守に任命されている。

 

そのときの今帰仁城の軍事的要塞を持つ構造を参考に、座喜味城を築城したのである。

 

軍事的要塞としての座喜味城

護佐丸は旧居城の山田城を崩し、そこから石材を運びだし、座喜味城を築城する際にそれらを利用した。

 

また土質は赤土が使われており、これは沖縄のグスクの中では非常に珍しいものであり、やわらかい地盤を強化するための工夫であった。

 

また座喜味城跡は他のグスクに見られるような御嶽と呼ばれる拝所がないことから、戦に徹底的に備えたお城であったこと分かる。

 

美しい石垣の曲線美やアーチ門が見事で、周囲の自然と相まった美しい景観を織り成している。

 

城門のアーチには楔石を用いており、アーチ門では古い形態とされている。

 

この曲線は単なる景観の美しさのみならず、戦に備えて敵を追い込めるように計算されたものでもある。

 

座喜味城は戦に備えたお城であったが護佐丸が過ごした約20年間、戦をすることがなく平和な時代が続いていたのである。

 

それだからこそ、座喜味城跡は他のグスクと比べると非常に保存状態が良く、グスク内部を無料で自由に見学することができる。

 

高台にあることからグスクからの景色は絶景であり、残波岬や恩納村、晴れた日には慶良間諸島や那覇市内も一望できる眺望の美しさもまた、このグスクの魅力の一つである。

 

戦後の座喜味城の歴史

沖縄戦前には日本軍の砲台が置かれ、戦後はレーダー基地として利用されていたため、城壁の一部が破壊されてしまったものの、現在では修復されている。

 

1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土返還とともに国の史跡に登録されている。

 

2000年には首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録され、今では高台にあり絶景を一望できることから一大観光地として人気を集めている。