山城としての歩み

名護城は名護人発祥の地といわれており、その創建の詳細についてはっきりとしたことは分かっていない。

 

沖縄のグスクでは石積みが見られることが多いが、このグスクは珍しく石塁や城壁を見ることができないが、土塁のグスクであったと思われる。

 

石垣などの遺構は見られないが、丘陵の尾根部を切り取った掘切がある。

 

名護城は14世紀の始めごろ、北山の今帰仁城から分かれてやってきた領主的豪族・名護按司の居城であったと伝えられている。

 

周辺の丘陵には按司の統治する領民が住んでいた。

 

それから約200年の後、尚真三の中央集権によって名護按司とその一統が首里へ引き上げていき、残された城村の住民は思い思いに平地に移住をした。

 

名護人はそれ以来、城跡に火の神(ヒヌカン)や地元の神様を祀った名護神社が建立され、地元の人たちに崇拝され大切な存在として崇められてきた。

 

神社の境内までは約500段の階段を登った先にあり、沖縄独特の赤瓦屋根の拝殿の背後に本殿がある。

 

拝殿、本殿ともに昭和3年に造られ、比較的小さい造りとなっているが地元の参拝者も多く、人々の心の拠り所となっていることが分かる。

桜の名所でもある!

名護城跡一帯は、名護中央公園となっており広々とした敷地はまさに地元の人たちに愛される場所である。

 

今では沖縄随一の桜の名所とも言われ日本さくら名所100選のひとつに選ばれており、毎年1月中旬ごろからは約2万本もの寒緋桜が濃いピンクの花を咲かせ、全国的にもかなり早い春を告げる桜まつりが開催される。

 

美しいピンクに包まれた約2キロの遊歩道は、歩くだけでもどこか幸せになれる散歩コースである。

 

特に頂上近くにある「天上展望台」は3階建てとなっており、展望台から一望できる名護の景色は、名護湾、本部半島、国頭連山、恩納村や沖縄本島西海岸を一望できる絶景であり、それは息を呑む美しさである。

 

園内には、そのほかにも森林散策やバードウォッチングが楽しめる自然観察園や多目的広場があり、観光客にはもちろん、地元の人たちの憩いの場所となっている。